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フィルム・スキャナーで過去を旅する

1970年屋上に写植機を導入

1970년 사진식자기 도입

1970年2月


フィルムスキャナーで、古いフィルムから現れる過去への旅に出発する。なにがあったのかな。


1970年2月、1970年大阪万博が開催されることになり、韓国舘の印刷物を一切受けるようになった。
また、韓国と日本との交流が盛んになり始め、韓国語の印刷物の受注が増えるようになった。
封筒や伝票などの活版の印刷物だけでなく、文字ものも増えたので、写植を導入した方がいいと思った。

それで、自宅の屋上にプレバブを建て、そこに写植機を入れ、版下作業など行うことにした。
まず、写研の3RYという手動写植機の中古品を購入。写研へ写植のやり方を習いに通い、習得した。

左にあるのが、写研3RY手動写植機だ。私は版下作業も行った。

やがて、鄭ビョンフンさんが入社して、版下作業を。
鄭ビョンチェさんが入社、モリサワ小型写植機を使う。ピョンチェさんは約20年間勤めた。
70年大阪万博の韓国館の印刷物を、一手に引き受けるようになった。封筒から便箋などの事務用品など。
3月15日から万博は始まったが、会場の工事中の時から印刷物の納品があるので、車に乗って会場内に入ることができた。
また、期間中も納品業者証というものがあって、いつでも会場に入れて、万博は見放題だ。
このポスターはカラー印刷だ。おそらく、僑文社で初めて受けたカラー印刷と思う。

活版印刷の方は、もっぱら結婚招待状の印刷。あと、封筒など、バンジャが行った。

ドイツのハイデルベルグ社のプラテン機。素晴らしい機械だ。長年動いてくれて、
活版印刷をやめるとき、売ると、購入の時より、高い値段で売れた。


■1993年KBS社内ボーリング大会(1993/2/)
■カレーライスを食べる日(1992/毎月第1月曜日)
■1991年多言語化のため四国へ(1991/8〜)
■1991年ソウル支社を設立(1991/7〜)
■1991年Mac導入 多言語システムへ(1991/)
■僑文社在日実業名鑑を編集(1988・89/1/)
■1967・8年の私、新家庭(1967・68/)
■1966年民団此花支部の事務部長に(1966/2/〜)
■留学生同盟にも参加した(1963/11/3)
■韓国学生同盟、民団大阪本部で(1963/8/)
■夏の日トラックに乗って海へ(1963/8/10)
■1963年、大阪駅近辺のようす(1963/5/)
■1963年の私(1963/春)
■1962年編集者1年生(1962/春)
■桃谷公園が大雨で水が氾濫(1958/夏の終わり頃)
■1958年、建国中学生活(1958/1〜)
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