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しまなみ四国へドライブ
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2004年5月3〜5日

2004年5月3日から5日までの、2泊3日の四国方面へドライブをした。
2年前に行った時と同じメンバー6人だ。
四国の最南端、足摺岬。民宿「高原」に泊まった。

ページは未完成です。
5月4日は一日中雨だ。
宿に着いたのはだいぶ遅くなった。
雨で景色はどんよりとしてる。
民宿「高原」に着いたのは8時過ぎと遅かった。
まず、夕食だ。
遅い夕食だし、早く食べないと、風呂に遅れる。
みんなで食べる夕食はおいしい。
食後に近くにある温泉「足摺テルメ」に入った。
10時までの営業だったので、風呂も落ち着いて入れない。
明くる日5日、天気は快晴だ。
あさ、早く起きて日の出を見ようとしたが、それはできなかった。
民宿「高原」
あさ6時半頃「食事できましたよ」という女将さんの声に目が覚めた。食事をし、7時半頃出発。
足摺岬へ行った。
日はもう高く登ったが、それでも見晴らしは爽快だ。
足摺岬灯台。
眺めは気持ちがいい。海はひろ〜いネ。
い〜い、気持ちだ。
見下ろす岸壁の景色
鯉のぼりは何回も目に入った。
高知県中村市の四万十(しまんと)川へ。
海を見た後の今度は川だ。天気がいいし、雨上がりの後なので空気がきれいだ。
佐田の沈下橋へ。
お、バッタがいる。見えますか?
川と山並みの景色がいい。
とてもいい気持ちだ。
裸足になって、水遊びをしたい。
自転車でツーリングの3人グループに出会った。東京方面から来たという。
大雨の時はこの橋は増水で水の中になるという。
ちなみに昨年は3回、川の中に沈下したという。
そのような説明をこの女性(右端)がした。
トイレがあったので、車を止めた。
トイレに入る人はトイレに入り、側の川の景色を見ると、とてもきれい。
すばらしい景色だ!
みんなが景色に見とれた。
高知方面に、車は走って、大方町あたりに来た。
「とても景色がきれいね」
さすが南国だ。もう田植えがしてある。
案内地図に「朝鮮国女の墓」というのがあった。
行ってみよう。
偶然に見つけた。「朝鮮国女の墓」
ここいいね、ひと休み。
車を走っていて、偶然に見つけた。
「へえ、こんなのがある」
 (由来碑全文)     朝鮮国女墓の由来  
 往昔、文禄慶長の役に出陣した長宗我部元親に従って朝鮮国に
渡った入野郷上川口村の土豪小谷与十郎は、
 帰国にあたって若い機織りの女を連行して来たという。
 彼の国の進んだ機織りの技術を近郷近在に広めた彼女は、
美しく、優しく、土地の人に愛され、慕われたと言い伝えられている。
 祖国朝鮮への望郷の念を抱いて、寂しく異国の地に果てた機織りの女は、
上川口村桂蔵寺の小谷家の慕域に葬られた。
墓碑を建てたのは与十郎の四代の孫小谷安次である。
天正年中来と刻んだのは、
文禄慶長の役の強制連行の痛ましさを隠したかったからであろう。
卒年と刻んだのは尊崇の念からと思われる。
代々、土地の人に守られてきた墓は、
桂蔵寺跡から移されて現在地にある。
 いまこの朝鮮国女墓を世に顕わさんとするわれわれの志は、
この悲劇の一女性の霊を慰めるとともに、
 それを通して、日本と朝鮮両民族の友好と連帯を誓うところにある。
      一九八一年六月七日
                      朝鮮国女の墓を守る会
偶然に列車が来た。
この墓の前で全員、お祈りを捧げた。
「朝鮮国女の墓」は小さな墓石が建てられていた。
この場所は、高知県幡多郡大方町、JR土佐上川口駅の近くだ。この駅は無人駅だ。
12時半頃、須崎市「道の駅」に入った。
「かわうその里すさき」ここで昼食をとることにした。
3時半頃、土佐高知のまんなか、坂本龍馬像がある桂浜へ来た。
坂本龍馬の像は大きい。天気がよく、逆光だったので、銅像の写真は撮りにくかった。
6時10分ごろ、徳島まで55キロの標識が見えた。
7時頃、鳴門海峡の大鳴門橋を渡った。
今回の四国ドライブの旅は2泊3日の短い日程ではあるが、中身は濃い。しかも、しまなみの橋を全部通り、四国を横断。淡路島を横断して、帰ってきた。
私の家に着いたのは午後10時。
費用は、宿泊費、食費、ガソリン代、高速料など締めて、1人¥35,000-だ。
企画した、カワウチさん、安全運転のカワウチさん、シンギさん、ご苦労様でした。
明石のたこ焼きを買って食べる。
7時40分には淡路島を横断して、淡路ICに着いた。40分で横断した。
8時半頃、須磨料金所に着いた。阪神高速を利用して、家に着いたのは10時だ。

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■箱根・横浜ドライブ(2002/5/3-5)


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