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鳳@bongの昔を訪ねて<6>

봉@bong의 옛날을 찾아서<6>

2004.7.20-27

7月20日から27日まで、「鳳@bong」の、つまり私の昔を訪ねての旅行をした。
お供にバンジャと。バンジャは私を撮るカメラマンであり、いろいろと助手役を務めた。

봉@bong의 옛날을 찾아서 방자하고 여행을 떠났다.

裡里(今の益山)は私にとって子供の時の一番思い出に残る場所だ。

もし、韓国語が見られない場合、ここを参考にしてください。

24日、新光教会へ行った。
新光教会の事務長である文ジュンテジップサが、私たちに裡里の思い出の場所を案内してくれた。
教会はすっかり変わっていた。昔のおもかけは全くなかった。
昔のおもかけはここにあった。
この聖句は教会に入る石の階段に書かれていた。
1966年の時の裡里新光教会
1966年の時の裡里新光教会入口。

1977年に起きた裡里駅爆発事故の時建物が壊れ、立て直したとのことだ。

この石の階段に聖句が書かれていた。
3街に教会図書館がある。ここで二人の女性信者から事務所を紹介された。
石釜ブルゴキだ。
中央教会の隣の食堂「ソルミオク」で昼食をとる。 食堂のムンアジュモニと。
1950年朝鮮戦争が起きた年、この中央市場の中で住んでいた。母と兄と3人で。
中央市場。市場のにぎやかさがなかった。
煉瓦工場のうらのバラックで私たちは住んでいた。母はここで1952年2月10日亡くなった。
朴さんの車で南中洞の場所など連れて行ってもらった。
1966年にはまだ煉瓦工場の跡があった。
煉瓦工場があった場所はすっかり変わっていた。
奥の部屋から、病気で寝ている母が
「いんぼんあー、お水おくれ!」と、声の出ない声で叫ぶ。私は外でビー玉遊びをしていた。
それは1952年のことだ。2月10日なんの病気か知らないまま、母はこの世を去った。
小学校のとき遠足でよく行く場所。小高い山ベサン。その山はいまもあった。あたりまでだが。
ベサンはすっかり公園になっていた。
弥勒寺地へ行った。工事中であった。
益山駅にはこのような祈念碑があった。
1950年7月11日、米軍の裡里爆撃により無惨に命を落とした「たまし」のため、遺族と全北の道民の真心で建てられたもの。2000年10月28日とある。
あのとき小学3年で、授業が終わって、先生とお別れの挨拶の時にこの爆撃があった事を覚えている。
泊まった益山グランド観光ホテル。今回の旅行で一番料金が高いところ。一泊ツインで90,000ウオンだった。
ホテルの窓から見る朝日。
部屋は広々として、ネットにもつながる。今回の旅行でここでのみインターネットにつないだり、メールの送受信ができた。
朝食にアワビのおかゆを食べた。
朝食をホテルのレストランでした。
ホテル近くを歩く。 陸橋があって、小川があった。
昔、泳いだり遊んだ小川はホテルの近くであった。
小川の周りは、変わっていた。
むかし幼いとき、この川で泳いだり、よくあそんだ。
25日の昼、益山駅からソウル行き
新幹線KTXに乗った。
カバンを持っての階段は大変だ。
列車の出発案内板。列車番号206のKTX
11:58発
益山駅はきれいになっていた。
KTXが泊まる駅はすべてこのようにきれいになっているという。
KTXの車内。ちょっと狭い。

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봉@bong의 옛날을 찾아서<7>


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