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李承徳先生

韓国総領事館、学校を訪問

1999/7/15


李承徳先生は、白頭学院、建国中高等学校での、私の恩師、美術の先生である。
この度、70歳の古希を迎えて、今まで描きためた絵を画集にまとめて、
出版をすることになった。(この印刷を私の会社KBSで受け持ったのだ。)
今日、7月15日はこの本を、関西韓国文化院(駐大阪韓国総領事館)、
金剛学園、大阪韓国学校と白頭学院、建国学校へ寄贈しに行った。



まず、関西韓国文化院へ。私もこの文化院が出来てから、きょうが初めてだ。
一階はギャラリー、これは以前からあったもの。



二階にあがると、そこには図書室、マルチメディア室、ビデオコーナーがあった。
事務室もあって、責任者の李さんに会って、画集10册を寄贈した。



図書室には韓国関連の本が3000册ほど用意されてあり、貸し出しや、コピーサービスなどもしていた。
韓国の月刊誌や新聞なども置いてあるので、ちょっとした調べものがある時は、ここを利用すればいい。



資料は韓国旅行に参考になる、旅行ガイドもおいてあった。



ビデオテープは伝統芸能など1000巻ほどそろえてあった。その場でみることもできるし、
貸し出しも行っている。
インターネットにつながっている、パソコンが2台あった。



ちなみに、私のホームページを呼び出してみると、
おお「でた、Bongのページ」が。
行ってみてはないが、3階には映写室がある。毎週水曜日には韓国のビデオが上映されるとのことだ。
また、この階では韓国語講座も開いている。9月からは第2期の講習会が始まるので、現在、募集中だ。
コースは、入門コース、初級コース、中級コースの3つのコースがある。受講料は無料。
みなさん、大いに利用しましょう。電話06-6211-3774です。

次は金剛学園へ行った。李大燦校長に会い、画集10册を寄贈した。



(写真=李大燦校長先生、李承徳先生、金事務長先生)

次はわが母校、建国だ。張成秋校長に会い、画集10册を寄贈。
張成秋校長は私とはこの建国での同じ同窓生だ、だから、李承徳先生は恩師にもあたる。
李承徳先生はこの建国で1952年から、1973年までの21年間教鞭をとっていた。
青春をこの学校ですごした、思い出がある。



夏休み前で、先生達はあまり学校にはいなかったが、李承徳先生が勤めていた時の同僚先生、
呉景萬先生と李昌九先生がいた、むかしのこと、なつかしむ。
校内を見たいというので、見て回った。1973年にやめてから26年ぶりにみる、学校校舎はむかしのおもかげはなく、
すっかり、変わっている。

6時から、天王寺で、昔の同僚や卒業生数人で、夕食会を持った。



梁亀慶9期先輩、永年バスの運転手をしていた辻井栄一先生、



永年建国の事務を担当していた8期の金順南先輩、あとから、かけつけて来た、10期の朴炳昭先輩。
やく2時間、時間のたつのも忘れて、むかしの話の花がさいた。ビールの乾杯から始まって、
中国料理につきもののシヨウコウ酒を飲んだ。


「蒼波画集」の最後のページにある、編集後記から

企画・編集を終えて
 想えば、李承徳先生との出逢いは建国中学校時代からである。
 その時、先生の家は学校の近くにあった。放課後によく先生の家へ遊びに寄ったものだ。先生の手作りの食事をごちそうになったことを覚えてる。
 学校の文化祭のとき、舞台作りや小道具作りのお手伝い。また、運動会の時は、凱旋門などの製作のお手伝い。先生が担任していた小学校の課外授業で新聞社の見学会について行ったこともある。



(写真=建国中学校の卒業アルバムから、左端が先生、右から2人目が私)
 卒業後も今日まで、先生とは横浜と大阪という距離は離れていたがなにかと事あるごとに交流は続いていた。
 その先生がこの度古希を迎えられて、自らの生きざまに区切りをつけるというお話を聞き、なにか心に響いてくるのを強く感じた。
 個展の度に仕事上何かとお声をかけていただき、カタログ等の印刷をお手伝いしたのだが、今度は先生の作品を総括する展覧会と聞いて、これは大変なことになったと正直心配になったのである。だがしかし、やらなければならない。
 送られてきた作品の写真をみて、やはりこれは自分がやらねばと覚悟を決め、すすめてできたのがかくのごとしである。
 あれもこれもと思ってやったのだができはいかがなものか。ただこれを総括と言わず、八十、九十、百と今後も作品を制作してくださらんことを願う。


高 仁 鳳


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