半世紀の歩み感無量の思い

創立50周年記念式典

8,500人巣立つ


受け付けもよう

金世澤総領事、 金重根理事長 、 高錫棋校長


 1996年5月31日、白頭学院は創立50周年を迎えた。1946年3月、解放された祖国で、平和な民主国家を建設するための人材を育成すべく、神戸にあった白頭同志会のメンバーが中心になり、ここ「遠里小野」の地に建国工業学校・建国高等女学校を創立した。
 焦土と化した大阪。なお混沌とした社会情勢の中にあって、明日のことすら何一つ見えない時に、まず教育からと、校舎もわらぶきのような粗末な建物ではあったが、祖国建設の意気に燃え、理事会・教職員そして生徒が一丸となって学校づくりに取り組んできた。
 爾来50年、その間、朝鮮人学校閉鎖令(1948年3月末)に対する4・24教育闘争など多くの困難な中、幼・小・中・高等学校の一貫教育をめざし、これまで延べ八500名の卒業生を輩出、在日社会の中心的な役割を担うだけでなく、本国においても多くの卒業生が活躍しているのは周知のことである。
 この50年を一つの礎として、さらに大学設置を含め、21世紀に向かって新たなる第一歩を踏み出すことになる。


新たな気持で
さらなる前進
[式典第1部]


 午前10時、姜駒錫教頭の司会で本校講堂において生徒・児童を対象に記念式典が開かれた。高錫棋校長は式辞の中で「50年前、祖国解放の喜びの中で祖国復興への情熱を注ぎ本学院を創立した、その建学精神を受け継ぎ、その間本学院を巣立った八500名の先輩たちに続き、さらなる発展を遂げるようがんばってほしい」と生徒たちを励ました。また、金重根理事長も「この50年間の間に卒業した先輩達の努力に報いるためにも、民族教育を受けた者として、社会に出ても立派に生きて行くよう生徒のみなさんに期待します。」と挨拶。
 教育部在外同胞教育課郭昌信課長が安秉永教育部長官の祝辞を代読し、金鎮晟首席教育官は金太智駐日大使の祝辞の代読の後、「民族のアイデンテイテイ確立のためにも是非ともウリマルを身につけてほしい。」とつけ加えた。
 また、民団を代表して金容海文教部長は「これからの時代を担う人材の輩出に期待します。」と生徒・児童を激励。朴小秉校友会長が卒業生を代表して挨拶したあと、尹貞秀PTA連合会長が「(この50周年を)100周年・200周年の新たな出発の日にしたい。白頭学院の永遠なる発展をみなさんに期待する。」と締めくくった。
 式典終了後、音楽部による記念演奏・舞踊部の記念舞踊の発表があった。


日本社会からも
敬愛される道を
[式典第2部]


 午後3時からは会場をホテルニューオータニに移し内外の来賓を招待して張成秋事務長の司会により記念式典が挙行された。高錫棋校長の開会辞「白頭学院50年の歴史に非常な苦労で関わってこられた多くの先輩たち及び今日この場に参席されたみなさん方の血と汗と涙は我々在日韓国人の貴重な精神的遺産であります。今日創立50周年を契機として私たち教職員一同、本学院のさらなる発展に努力します。」の挨拶で式典が始まった。
 国民儀礼・校歌斉唱に続き、姜駒錫教頭から学院沿革・50周年記念事業報告のあと金重根理事長は式辞の中で「これからも本白頭学院を発展させるためには、すべての在日韓国人の力を一つに結集させなければならず、さらに民族教育の発展を期すため大学を設置し民族教育の一貫をめざさなければならない。」との抱負を述べた。
 続いて金世澤総領事が祝辞に立ち「今日は白頭学院創立50周年の日でなく、永遠なる白頭学院を受け継いでいく始まりの日であるといえます。私たちはこの意義深い日を迎え、これよりより一層ウリマルそして歴史・地理などの文化を後に続く子供たちに正しく教えることによって、歴史に悔いを残す罪人にならないようにしなければなりません。私たち在日同胞が自分たちの主体性を確かなものにすることこそ日本の社会から尊敬される道だといえるでしょう。」と激励した。

 また、民団中央本部を代表して河丙隴副団長が支援金一千万円を金重根理事長に伝達。あわせて辛容祥団長の祝辞も披露された。
 続いて本学院発展に苦労された関係者に感謝状や表彰状が手渡された。
 式典には本国や民団関係者だけでなく、大阪府庁や岸和田市議会議員の他、私立中学校高等学校連合会・府外教・市外教・公立や私立学校など日本の各界の来賓や教育関係者も多く駆けつけ、また、祝電・祝文も多く寄せられた。
 式典終了後、白頭学院有志のオモニたちの合唱・柳会による韓国舞踊が披露され好評を博した。


若かりし頃の
話題に花咲く
式典第3部


 夕方6時からはいよいよフィナーレの校友会主催による祝賀会が9期生朴正準氏の司会により開かれ、来賓・教職員・校友生約450名が、ある者は遠く岩手や東京から一堂に会して旧交を暖め合った。
 朴小秉会長が「創立50周年を契機としてこれからは卒業生一人一人がわれわれの母校を支えようではないか」と呼びかけると皆大きくうなずいた。和やかな談笑の中で、創立当時のようすがスライド写真で披露されると、食い入るように見つめ、若かりし頃の自分の姿を見つけた卒業生が壇上に上がり「これ私です。」「ほんまかいな、だいぶ変わってるで」(大笑い)のような楽しい一幕もあり、お互い数10年ぶりに童心にかえり青春の思い出にふけった。

 午後八時名残惜しい気持ちでお互いまたの再会を期し、ここに50周年記念式典・祝賀会の幕を閉じた。


母校 周年記念式典・祝賀会を終えて


校友会会長 朴 小 秉

 1994年6月12日の校友会定期総会において新執行部が発足、母校50周年記念事業にむけスタートしました。7月3日の第1回会長団会議の席上で執行部の役割分担をはっきりすべく副会長団を企画、財政それぞれ役割分担担当を決め内容のある活動ができるようにしました。
 以来、5月31日の記念式典まで毎月1回のペースで会長団会議と拡大役員会を開き、討議を重ねてきました。
 手探りの状態の中で校友生の関心を呼ぶべくカレンダーの発行を始めとして、アンケートの実施や建国の保護者関係の卒業生の掘り起こしなど多くの取り組みをしてまいりました。昨年1月17日阪神淡路大地震があり多くの校友生も被害に遭いました。
 いろいろありましたが、ニューオータニでの記念式典・祝賀会には600名の来賓・卒業生が集い和やかな会となりました。中でも、2期の李守根さんが、40周年記念式典の日から10年間、1日300円ずつ貯金し計108万円を寄付されたことが披露され参席者に多くの感動を呼びました。
 こうした多くの人たちの善意と熱意を忘れることなく、今後も校友会は母校発展のためたゆまぬ支援をしていきたいと思います。
 最後に、式典・祝賀会の準備や受付などのためご尽力いただいた先生方本当にありがとうございました。
 また、カレンダーや案内状の発送・パネル写真の作製などを手伝ってくれた在校生のみなさんにも心より感謝したいと思います。


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