1965년 KYG 젊은이 클럽 |
1965年
大学に入って、在日の若者たちと知り合いになった。特に、韓国学生同盟に参加して、
同じ若者たちが、祖国を知り、学び、同じ在日韓国人と知り合って、私は積極的に参加した。
しかし、あまり政治的な活動には好きではなかった。
もっと、韓国の音楽や文化的な活動をしたかった。
それで、私と同じ考えを持っている、学生・青年たちでグループを作ることにした。
韓学同の活動には参加するが、その上に、文化的な活動をしようとする青年たちで、KYGを作った。
KYGとは、Korean Youth Groupだ。
KYGの中心は、康成安、張成秋、李行宣と私だ。そして、呉安男が加わっている。
野外活動が多かった。フォークダンスなど。 | |||||
日本人松永さんが韓国で散髪屋をしながら、孤児たちを育てるオモニの後援も行った。 | |||||
神戸にある孤児院「愛信愛隣舎」へ慰問に行った。 | |||||
前列左から二人目が子供のアボジ張牧師 | |||||
綱領と会則も作った。 | ||||
1、文化活動を通じて、親睦をしよう。 2、正しい民族愛をもって、人類愛の精神で、社会に貢献する。 3、在日同胞の模範になる教養を身につけ、人類の文化向上に貢献できる人格を育てる。 と、まあ、それらしい綱領だ。 |
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KYG賛歌、グループが集会のとき、この歌を唄う。 | ||||
規約は、ようするに、気の合う連中が集まって、唄ったり、楽しく勉強しようということ。 | ||||
「らくが記」という、ガリ版で機関誌を発行した。 | |||
KYGは、みなさん結婚して、家族を持つようになると、だんだん集まりが薄れて、自然に消滅した感じだ。 | |||
「らくが記」に私が掲載した記事は、漫画が多かった。 | |||||||||
「・・・<前略> いったいなんだい君! 答えはひとつ。ろくでなし。」 |
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でも、ろくでなしであるけれど、希望を持て、進む。自分の道を探して。もう、道は見えてきた、あそこに あれだ!あの道を進んでいこう。倒れたら、起きて、少しずつ、道の先にある目的を求めて。 (何を書いているのか、よくわからん) 画風は手塚治虫風だが。 |
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これも同じKYGグループの会報。1965年1月号。 今年をこのようにしたい。まずやりたいことをあげれば、 その1、すてきな彼女を得ること。 その2、お金をガッポリもうけること。 |
その3、ぼってりと太ること。 その4、KYGの世界一周。 達成したのは、3と1か。 |
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■1991年Mac導入 多言語システムへ(1991/)
■僑文社在日実業名鑑を編集(1988・89/1/)
■1967・8年の私、新家庭(1967・68/)
■夏の日トラックに乗って海へ(1963/8/10)
■1963年、大阪駅近辺のようす(1963/5/)
■1963年の大学生になる(1963/春)
■1962年編集者1年生(1962/春)
■桃谷公園が大雨で水が氾濫(1958/夏の終わり頃)
■1958年、建国中学生活(1958/1〜)
■1957年、建国中学2年生に(1957/7〜)