경도 우토로를 보다 |
2006年9月24日
ウトロ住民からウトロを守ろう。
ウトロで生きて来たし、ウトロで死を迎える。
2006年9月24日、京都ウトロフィルドワークに参加した。
戦前に京都の旧日本軍の飛行場などの工事のため、当時の朝鮮からつれて来られた人達が住んでいるまち。
まだ作成中です。付け加える情報を教えてください。
鶴橋から近鉄線で、大和西大寺まで急行。大和西大寺から伊勢田まで各駅電車で。伊勢田から歩いて8分ぐらいで、ウトロのまちにたどり着く。
後でわかったが、大和西大寺から急行に乗り、大久保で乗り換えて伊勢田へ行く方がいい。 |
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ここがウトロのマダンだ。後ろに見えるのが皆さんが集まる会館。エルファ、ハンギョレバンなどがある。 | |||||
早くからYTNの朴サユさんは取材をする。 | ||||||||||||||
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サユさんは何人かのインタビューなど、とても忙しい。 | ||||||||||||||
午後1時からフィルドワークが始まる。ウトロを守る会の斉藤正樹さんの案内で始まった。 | |||||
フィルドワークは3時頃まで、ウトロ内を案内してもらい町の様子を見る。3時頃から、ウトロに住んでいる人たちも交えて、話し合いをする。 | |||||
飯場として使われた建物。 | ||||||||
飯場(作業員仮宿舎) | ||||||||
共同トイレ。 | ||||||||
現在のいる場所はココ。 | ||||||||
1988年、火事があって、やっと水道が通った。 | |||||||
水道管を埋める工事あとが今も残っている。 | |||||||
1943年ごろからウトロに住み始めた文光子ハルモニ | |||||||
ちょっとした雨でも床下浸水がある。 | ||||
ここに強制執行の張り紙が。 | |||||
ウトロを勝手に西日本殖産に売った人の家。 | |||||
なんとその人は同じ在日同胞だ。なさけない。 | |||||
午後3時頃から、ウトロ住民達を交えて、話し合いを行った。 | ||||||||
ここでも斉藤正樹さんが司会進行を勤めた。 | 学生さんから ウロト以外の集落、多摩川河川敷戸手地区の事を発表した。 |
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戸手地区の集落は、現在は消滅した。 | ||||||||
ウトロ町会長 | ||||||||
ウトロの町をこのように人並みの環境に住める町にしようと、青写真だ。 | ||||||||
黄順礼さん。 | ||||||||
終わって何人かでお好み屋に入って、歓談をする。 | ||||||||||
黄ハルモニからいろいろと話を聞く。 | ||||||||||
上の写真をクリックすれば、動画が見られます。 | ||||||||||
私は若いとき12歳頃ウトロに来ました。ウリマルもウトロで覚えました。むかし、今のエルファがある建物の一室で、一人、まだ一人、と集まってハングルを勉強始めました。それが、ウリ学校の始まりです。 | ||||||||||
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